スタートトゥデイ社長 前澤友作

バンドマンから経営者へ転身した異才の経歴

美術作家ジャンミシェル・バスキアの絵画を約123億円で落札して話題になった前澤友作氏。同氏は、高校を卒業して大学には行かずにバンドでメジャーデビューを果たし、バンド活動と平行してビジネスをスタートしたという、ひときわ変わった経歴を持っている。本記事ではその異才な経歴を追いながら、前澤友作氏の「価値観」「成功の理由」を探っていく。

key points

  • 同氏の人生観の中心には「正義感」がある
  • 「点を線に、線を面に」「勝てる場所で勝負」していることが成功の理由
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創業前

前澤友作氏の異才の経歴は、ありふれた物語から始まっている。一般的な会社員の子供として千葉県の鎌ヶ谷市で生まれて育った。将来の事業につながることがあるとすれば、同氏の母がアルフィーの大ファンで、幼少からコンサートに連れられていたこと。また、小学校4年生でおしゃれに目覚めて古着のリーバイスを履いていたことぐらいだろう。音楽に小さい頃から触れていた同氏が、中学で始めたバンド活動がその後スタートトゥデイの創業に繋がっている。

正義感の強い少年

小学生の時に起こったエピソードが、象徴的に前澤友作氏の性格を表している。同氏の通っていた公文で学力測定を行うために試験が行われたのだが、その問題には答えを導き出すための法則があることを発見する。その法則がわかってしまうと誰でもすぐに問題が解けてしまって学力測定にならないと感じた同氏は、そのことを教員に抗議している。正義感が強く、疑問を感じたことをストレートに表現する同氏の特徴が出ている。この正義感が後の音楽という表現、そして世界平和を願いビジネスを展開する中で貫かれている。

そうした性格のためか、学校の先生と衝突することも多々あり、完全に無視されたこともあったという。中学校でも同じように振る舞い、教師と対立することがあったという。この時期に音楽を始めており、同氏はハードロックやハードコア・パンクに傾倒していく。

高校は親が勧めたという理由で、早稲田実業高校に入学する。しかし、通学中に疲れた会社員の暗い顔を眺める内に、通学するのが無駄に感じ始めて学校に行かなくなる。学校に行かない時間は土木系のアルバイトをしたり、ライブハウスなどでバンド活動を行っていたようだ。

アメリカで音楽遊学

高校を卒業した後、前澤友作氏はアルバイトで貯めたお金で渡米している。当時付き合っていた彼女の留学先に転がり込み、6ヶ月ほどアメリカのライブハウス等を巡っていたようだ。

そこで同氏が目にしたのは、アメリカ独自のライブハウスの仕組みだった。会場では、Tシャツを売ったり、演奏者自ら作った料理を振る舞ったりしていたようだ。また、演奏者たちがしっかりとポリティックな内容のメッセージを込めて「世の中をこう変えていこう」と表現していることも同氏の心に響いたという。

帰国した後に、早速真似をして自分たちが演奏するライブハウスでアメリカから仕入れたレコードやTシャツを販売している。

成功の理由

前澤友作氏のビジネス展開は、王道で無駄がない。その特徴は「点を線に、線を面に」「勝てる場所で勝負する」という2点だと言える。同氏のビジネスの系譜を追いながら、これらの特徴について解説していく。

カタログ通販からネット通販へ

ライブハウスで売り始めたレコードがよく売れたので、商品リストをA4用紙にまとめたコピーを配り始める。商品数を増やしながら、音楽雑誌の無料広告にも掲載している。掲載の効果は大きかったようで、掲載以後には全国から発注が来るようになり、電話で注文を受け付けるようになったという。

こうして、1995年にA4用紙1枚のカタログで始めたレコード販売のビジネスは、2000年には200ページのカタログを2万部発行し、売上が年商1億円に到達するほどのビジネスへと成長を遂げる。

また同時期に、カタログ通販をオンライン化している。業者に依頼して作ってもらったようだが、完成度が低かったために同氏が独学でシステム開発を行ったという。オンライン化したことにより、コストが削減されて一気に収益性が高まる。アメリカのライブハウスの仕組みといい、当時まだまだ主流ではなかったオンラインショップ化に踏み切って最後は自分の力で仕上げていることといい、同氏は良いものを取り入れて自分のものにすることがとても上手い。

A4用紙1枚のカタログで小さくビジネスを始めて、商品数とカタログのページ数を増やしていく。そして、カタログ通販という仕組みをネット通販へと転換し、ネット通販を複数店舗立ち上げてモール化する。このように、「点を線に、線を面に」していくのが同氏のビジネス展開の特徴だ。

表現の手段を「ビジネス」に

レコード販売のビジネスを展開しながら、インディーズとして行っていたバンド活動はメジャーデビューを果たしているというから同氏のパワーは計り知れない。

そんな同氏もこのときに挫折を味わっている。

メジャーデビューを果たしたバンド活動であったが、レーベルのやり方に従わざるを得ない状況であったため、自分たちでコントロールできることが少なくなったという。また、アルバムのリリースやライブツアーの時期などやるべきことが決められたことでバンド活動がルーティン化した業務のようになってしまう。

ビジネスの方でも、15人程いた従業員が一気に辞めて3名まで減ってしまうような事態が起こっている。これは、給料日を忘れてしまうほどマネジメントをほったらかしにしていたことと、前述のオンライン化したことで仕事がなくなってしまったことが原因だという。「みんなが好きで集まって楽しく働いていると思っていた」と述べていることから、まだスタッフをバンドメンバーのように考えていたことがわかる。

「大きくなって面白くなっていくビジネス」と「型にハマり面白くなくなっていくバンド活動」。その狭間で揺れながら、従業員が一気に辞めてしまった事件が起こったことを受けて、同氏は二足のわらじを捨てて、ビジネスを真剣にやっていくことを決めている。

ゾゾタウン、誕生

オンライン化を図った後に、音楽との親和性の高いファッションへと事業を拡大する。2000年10月にはオンラインセレクトショップ「EPROZE」を立ち上げている。

ライブハウスでレコードを売り始めた原理と同じように、扱っていた音楽ジャンルが好きな人が好むストリートファッションを中心としたブランドを扱ったようだ。

ハードコアというジャンルで演奏者としてファンを作り、そのファンが好きそうな海外のレコードを販売する。そして、ジャンルを広げてそのファンが好きそうなファッションにまで拡大する。このように、自分がどっぷりと浸かって熟知している「勝てる場所で勝負する」のも、前澤友作氏のビジネス展開の特徴だ。

音楽のユーザーに、洋服もどうですか?というお店でした。音楽には、その音楽が好きな人が着ていそうなファッションというのがあります。僕自身もそういうスタイルでした。ライブハウスなどでも実感していましたから、今まで利用してくれていた音楽ファンは、同じように洋服を買ってくれるだろうと思いました。新規顧客を一から開拓する必要もなかったんです。

「EPROZE」を立ち上げた後、オンラインセレクトショップを立て続けに立ち上げていく。そして、17店ものオンラインセレクトショップを立ち上げ、そのサイトを束ねてモール化した「ZOZOTOWN」を2004年12月にオープンする。

転機となったユナイテッドアローズとの取引

このZOZOTOWNを立ち上げる前に前澤友作氏は後の発展に重要な人物と出会うことになる。それが、ユナイテッドアローズの重松現氏だ。

重松氏は、1995年ごろからEC化を考えていたが、なかなか納得のいくデザインや仕様のものに出会えていなかった。2000年ごろに社員から「EPROZE」の評判を聞いて、1人でスタートトゥデイ社を訪問して同社に好感を抱いている。そしてZOZOTOWNオープン前に、サイトのデモ画面を見た重松氏はその格好良さを見てすぐに出店を決めたようだ。

程なくして出てきたのが「ZOZOTOWN(ゾゾタウン)」(04年開始)だった。当時見せてもらったデモ画面では、複数のブランドの店舗が集まった街がサイトに形成されており、とにかく格好よかった。すぐにやりたいと思って出店を決めた。ゾゾタウンは洋服が本当に好きな人たちが情熱を持ってやっている。当時、ほかのECサイトからも出店の話をいただいたが、そうした情熱は感じられなかったので、出店はしなかった。

ユナイテッドアローズの出店を皮切りに、他有名ブランドの出店も決まり、急激に拡大していったというから、こうした業界大手が与えるインパクトのデカさは計り知れない。

どうして、このような幸運を引き寄せたられたのだろうか。前澤氏の力も大きく影響していると思うが、会社の中に流れていた文化によっても大きく後押しされたのではないかと思う。この企業文化については、プロサーファー中村竜氏がスタートトゥデイのオフィスを訪れたときの印象が物語っている。

自転車が置いてあって、スケートボードが置いてあって、潤くん(山田潤氏)のサーフボードのケースがどんと置いて合って(笑)。普通の会社だとありえないじゃないですか。みんな好きなことをやりつつ、仕事を自分のスタイルでやれる環境を提供している。すごく新しいくて、自分がすごく好きなスタイルだったので、会社に招待して頂いたときに嬉しかったですね。

好きなものだからこだわり、そして深く理解する。その理解やこだわりを基にした仕事が共感を生んでビジネスの輪を広げていく。そうしたポジティブな連鎖が企業の文化レベルで定着していることが中村氏の発言から読み取れる。

ZOZOTOWNの成功を皮切りに、以後は倍々で売上を伸ばして2007年12月には東証マザーズに上場を果たす。ファッションコーディネートアプリ「WEAR」や「送料の自由設定制度」など、数々の革新的なサービスを世の中に提供し、2017年には売上約760億円にまで成長させ、時価総額は1兆円を超えている。

まとめ

前澤友作氏の重要な価値観として正義感があり、その表現方法が「音楽」から「ビジネス」へと変わっていく。同氏のビジネス展開は王道で無駄がなく、バンド活動からレコード販売、そしてファッションへと展開するどっぷり浸かって熟知している「勝てる場所で勝負」していること。そしてA4用紙のコピーからカタログ、オンラインショップ、そしてモール化へと「点を線に、線を面に」していることが、同氏の成功の理由だと言えるのではないだろうか。

世界平和を謳い、「世界中をカッコよく、世界中に笑顔を」など独特な経営理念を掲げる同氏の心を少し覗ける同氏が作詞した「世界は丸い」の歌詞を最後に紹介して、本記事のまとめとさせて頂く。

世界は丸い

愛に飢えた子供達が
どこか遠い国の道を
ひたすら歩いてる

束ねられた心の中 
無邪気に笑いながら
誰かを傷つけていく

年をとった男達が
破れかけた白黒写真を
大事に残してる

脇に抱えた鉛の武器 
罪を償いながら
誰かを愛し続けてゆく

あー この世界のどこかで 
青い空や海に救いの光を求めて

あー この世界に響けばいい 
愛や希望や夢を歌った
メロディーだけでも

疲れ果てた大人達が
壊れかけた時計の針を
静かに見つめてる

束ねられた時間の中 
何に夢を見ながら 
何を求めて生きてゆく

ねー 僕たちはどこかに
素朴な正義感を
そっと隠しているよね?

ねー 僕たちは心に
同じような迷いや悩みを
抱えているよね?
あなたがいて 僕がいて‥

あー この世界のどこかで
青い空や海に救いの光を求めて

あー この世界に響けばいい
愛や希望や夢を歌った
メロディーだけでも

あなたがいて 僕がいること 
忘れないように

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