アイスタイル社長 吉松徹郎

@cosmeを成功へと導いた同氏の創業ストーリー

化粧品口コミサイトとして確固たる地位を築いている@cosme。初期に書いたという事業計画書からほとんどブレずに事業を拡大しているという。しかし、創業当初は事業の存続を危ぶむ出来事に遭遇している。そんな同社の創業ストーリーを「コンセプト、誕生」「ITバブルの崩壊」という2つの出来事を中心に紐解いていく。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • follow us in feedly

https://blog.istyle.co.jp/

コンセプトの誕生

吉松氏は1996年に就職浪人してアンダーセンコンサルティング(現 アクセンチュア)に入社する。入社後は、地方自治体のデータベースや会計システムの作成を主に行う部署に配属される。当時の業務でウェブサーバーを立て、データベースを作成し、テーブルを入れる作業をすべて自分でおこなっていたという。当時の業務でデータベースに触れていたことが、後のアイデアに繋がっているのだろう。

アイデアの原型

アンダーセンでプロとしての意識を叩き込まれる中、友人で化粧品会社に勤めていた山田メユミ氏に出会い、彼女が立ち上げようとしていた「週刊コスメ通信」に配信前から550人を超えるユーザーが集まっていたことにビジネスのチャンスを直感する。

当時のことを回想する山田氏の話には、ビジネスの原型となるアイデアがすでに形になっていたことが物語られている。

たくさんの声をいただいているうちに、生のユーザーの声が集まるネットのすごさに感動して、ネット上でみんなの声を集積することができたら、『みんなでつくるみんなのためのコスメガイド』ができるし、化粧品のメーカー業界にとっても価値ある消費者データーベースになるなと考えました。それをかたちにしたのが@cosmeです。

ビジネスチャンスを見出す

そこから化粧品市場をしらべていくうちに、市場規模に対して高い広告宣伝費がかけられていることを見出す。当時、食品は約7兆円の市場規模に対して年間3000億の広告費をかけられているが、化粧品は約1兆5000億円市場規模に対して3400億がかけられていた。

その理由を深ぼっていくうちに、化粧品業界は「メーカーが販売価格を決定でき、小売でも価格を守らせることができる」再販制度が認められることがマーケティングコストを潤沢にかけられる理由だと突き止め、ビジネスチャンスを確信する。

「そのうち1%を取れたら34億円になります。そこで『コスメ』でドメインをチェックをすると、意外にも使われておらず、すぐに『コスメ・ドット・ネット』を登録しました」

1999年のゴールデンウィークの連休で、事業計画書を書きあげる。34億円分の提供価値を作り出すために、口コミをデータとして捉えることで、口コミの集め方から収益化までのプロセスが見えたという。

「それが99年のゴールデンウィークかな。連休中にビジネスモデルを組み立てて、一気に事業計画書を書き上げました。ポイントはクチコミを“データ”と考えて、それを我々が提供する価値と置くこと。するとクチコミの集め方、データベースの作り方、データのまとめ方、収益化のプロセスなどビジネスモデルが全部見えてきました」

1997年7月に有限会社アイスタイルを資本金300万円で創業する。資本金は、結婚資金として親から借りていた400万円から捻出したようだ。

企画書をもってアマゾンへ

事業計画書を仕上げた後、同じ再販制度に守られている書籍を扱うアマゾンの権利を持つ代理人に交渉にいく。アマゾンとの話は前に進まなかったようだが、その代理人が吉松氏のビジネスに興味を感じ、ベンチャーキャピタルを紹介する。そして、2000年1月に3000万円の資金調達を行っている。

「直感的にアマゾンのシステムが使えるはずだって思いました。それで日本でアマゾンの権利を持っていた代理人の方にお願いに行ったんです」

おそらく、上記の交渉と並行してサービスの開発を進めていたのだろう。1999年12月にはアットコスメをリリースしている。

ITバブルの崩壊

サービスもリリースし、資金調達も終え、これから本格的に力を入れていこうとしていた矢先に、ITバブルが崩壊する。1999年に代表が34歳の時に、史上最年少で東証一部に上場を果たした光通信の株価は、20日間連続ストップ安で24万1000円の最高値をつけたわずか3ヶ月後には3760円まで下落した。

資金繰りの悪化

そして、その余波はアイスタイルにも及ぶ。バブル崩壊以前には、1億円なら用意するといっていたベンチャーキャピタルは手のひらを返したように会社を整理するように勧めてきたという。

資金調達ができると見越して人材を採用し、サーバー等の投資計画をしてきたが、一気に給与の支払いが厳しくなるほど資金繰りが難しい状況に陥ってしまう。

「会社を始めて半年後、7月にはすでに債務超過になってしまいました。7月の給料は半月遅れで何とか都合をつけ、8月分は一ヶ月遅れで間に合いましたけれど、その先はもう見えない。もう必死でキャピタルを回りました。そのとき言われたセリフはおそらく一生忘れないでしょうね」

エンジェルとの出会い

ベンチャーキャピタルを必死で回る中で、コンサル時代の知人の紹介で個人投資家に会えることになる。その投資家との面談では、ボディーチェックをされて厳重なセキュリティーの元、個室でお昼過ぎから深夜まで12時間に渡る禅問答のような質問を受ける。

そして、「わかった」と一言残して、1億円の小切手を手渡されたという。そのあとの吉松氏の行動が、まさに夢のような出来事であったことを物語っている。

小切手なんて持ったことないので、 結局それをどう現金化したらいいのかわからないんですよね。
だから2日ぐらい僕の胸ポケットに入ったまま、 ずっと同じスーツ着ていて、「これどうしようか」と話していたくらいです。

こうして危機を乗り越えた同社は、初年度は売上94万円に対して4000万円の赤字でスタートするが、2001年6月には1億200万円の売上に対して8000万円の赤字、そして3年目となる2002年6月には2億2800万円の売上に対して500万円の黒字を達成する。

アイスタイル 財務ハイライト

成長と拡大

業界トップ「資生堂」への営業

危機を乗り越えた後、吉松氏は「難攻不落の業界トップを落とすことで、業界他社も導入する」というセオリーにのっとり、資生堂への営業を始める。そして創業から2年がたった2001年頃、与信の問題で本体との取引が叶わなかったが、資生堂の販社とコンサルティングで取引するところまでこぎつける。そこで口コミデータを活用したブランディングを手伝う中、写真の提供にも応じてもらえるようになっていく。

この時、精査しながら着実に口コミデータを蓄積していた。2001年2月時点は、3万人の会員登録と10万件の口コミを獲得。2002年7月には、口コミ件数を5倍まで拡大している。

クチコミ件数・総会員数 推移

  1. 2001年2月10万件突破   3万人
  2. 2002年7月50万件突破  16万人
  3. 2003年5月100万件突破  25万人
  4. 2004年9月200万件突破  42万人
  5. 2005年9月300万件突破  59万人
  6. 2006年8月400万件突破  72万人
  7. 2007年7月500万件突破  86万人

「@cosme store」1号店をオープン

2004年には、当時創業者2人での経営に限界を感じ、アンセンチュア時代の同僚であった佃氏、菅原氏、高松氏を経営メンバーとして迎えて盤石な体制で事業を拡大していく。

2007年には、データとして蓄積されていたお客様の評価と、実際に売られている品揃えとの乖離があることに着眼し、声を反映した直営店「@cosme store」をオープン。2015年6月期の決算には、年商10億円を達して日本でも有数の売上を誇る店舗へと成長している。

以後も、アイスタイルは売上の拡大を続け、2012年にはマザーズに上場を果たし、吉松氏が当初描いたシェア1%を取った売上34億のビジョンから大きく広がり、直近の2016年には売上142億、営業利益17億を叩き出している。

まとめ

まとめというよりは余談となるが、個人投資家との問答の中に「お前ら夫婦か」という質問があり、それに吉松氏が「はい」と答えていることから、この時には吉松氏と山田氏は夫婦であったことが読み取れる。

また、アンダーセン時代に参加したOB会の席で現アクセンチュア取締役会長である程 近智氏は、吉松氏の印象を「経営者としては危なっかしい印象だったが、山田氏がしっかりものと聞いて安心した記憶がある。吉松氏は自分にないもの集める力がある」と述べている。

上記の記事を読みながら、創業には代表の魅力ももちろんのことながら、影には会社を支える立役者がいるということを再認識させられた。

参考

なぜ@cosmeは日本一の化粧品クチコミサイトになったのか
第7回 吉松 徹郎氏 – 法政大学MBAとの共同講座 2006/11/13 (1)
着実に成長していく企業家/吉松徹郎の人的ネットワーク
株式会社アイスタイル 取締役 兼 CFO 菅原敬氏

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • follow us in feedly